杉江能楽堂を知る
杉江能楽堂とは
杉江能楽堂は、大正6年に旧岸和田城内にあった能舞台の橋懸(はしがかり)を賜り建立されました。
現存する大阪府下最古の能舞台で、国宝に指定されている「西本願寺北舞台」の形式を踏まえたひなびた舞台で、前庭の白州と三本の地植えの松、舞台を取り囲むようにL字型に別棟の見所(観客席)が設けられています。
舞台と見所が別棟であることから、四季の風を肌で感じることができ、「能」本来の野外で演じられた頃の趣の一端を楽しむことが出来ます。
本来、舞台の広さは京間三間四方ですが、杉江能楽堂は少し小ぶりの二間四方。舞台には岸和田藩最後の藩主である岡部長職(おかべながもと)公が自ら揮毫された「国華」の額が掲げられています。
間取り図
もともと能舞台は野外で演じられていました。
現在は改修され、冷暖房や照明が完備されていますが、間取りは建立当時の趣を残しています。
※催しによって座席数が変更になる場合があります
能楽堂と古典芸能
「能」の衰退を救った「謡」
鎌倉時代の猿楽や田楽の伝統を受け、室町時代以降芸能界の主流として歩んだ「能」は、江戸時代に入ると、徳川幕府の御用芸能(武家式楽)として安住したため、一般庶民には縁の薄いものとなってしまいました。
そんな消えかかっていた「能」への思いを繋いだのが「謡」です。能の詞章を囃子の伴奏なしに単独で歌うのが「謡」です。
岡部長職公は金春流を好み、お国入りの節には旧家臣を集め、この舞台で謡曲を楽しまれました。
やがて謡曲会の場として庶民に親しまれるように
戦後、昭和23年から大阪府岸和田市で文化祭が実施されており、そこでは流派の垣根を越え、市民が参加する岸和田謡曲会の場として親しまれてきました。岸和田謡曲会は現在でも開催されており、杉江能楽堂は春・夏・秋の定例会をはじめ、能や狂言の舞台としても利用されています。